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目標に到達できて。

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埼京線で会場の北与野へかなり緊張気味(自撮り)

マラソンの日の朝は雨、やはり冷たい空気、4時前には目が覚めて母がおにぎりとみそ汁を作ってくれた。あとは、お餅、指扇産の純はちみつ等をお腹にいれた。足裏にテーピングをしたり、ある程度走る時の服装にワセリンを付けて靴下を履いたり、乳首に擦れ防止のテープを張ったり、忘れ物など確認していた。あと、最後に出しておきたかったが出なかった。(大宮で途中下車して再度試みたがダメ)
 会場につく頃には、小雨に、待合室となるスーパーアリーナへ夏に一緒に試走をしてもらった。ぽむんさんや会社のランニング同好会の同僚の方などと同じスペースで用意をした。皆さんいくつもの大会に出場していているし、見渡してもみんな慣れて準備をしているなと感心した。

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これでも5000人くらい、東京マラソンはデカいんだろうなと感心した。

私は4月の検査帰国から本格的に走りを再開して、Qちゃんこと高橋尚子さんのコーチであった小出義男さんの本を全てではないが元に練習を調整してきた。レース前は走らず、食べる、カステラやジェルなどを最後におなかに入れた。時間も近くなり外へ、雨は止んで思ったほど冷たくない、寒くない。私は一般のサブフォーのDブロック(最後尾)スタートで、一人の同僚の方と一緒に号砲を待った。この間、この型といろんな話をして緊張もせずにいれた。

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これが私が最後に決めた今回のレースのペース表(他ブロガーさんのものを応用しました)、号砲からスタートまで6分を通過で見る(公式サイトからのものをそのまま)。前半30キロまで抑える、我慢、我慢で5キロを27分(5分30秒を切らない程度)を切らないように行く。他に他のブロガーさんから教わった30~45分に一度必ずエナジージェルなどの補給、塩飴を適度に摂取、エイドでは適度に水分(食事は取らない)、などを決めてそのタイミングもこのペース表(右側)に記載し、リストバンドに両面のマジックテープで留めて腕につけた。最後はこれが非常に最後まで役立ちました。
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17~18キロ地点見沼の有料道路を渡ったところで(知人が応援、撮影してくれた)

最終的にロスタイムは3分59秒であった。

 1~5キロ(予定より2分早く通過) 27分03秒、あまりの人の多さ初体験、確かに人をぬって前に進みたくなる気持ちわかるけど・・・地元の与野を走れる、17号を、埼大通りを全車線を走れるのは爽快だった。沿道の応援や、ブラスバンドの応援などうれしかった。ロスタイムは変わらず。
 
 6~10キロ 26分48秒(予定より3分早く通過)、第1関門も無事通過、初めてのエイドステーションであまりの人の多さにビックリ我も我もとランナーが来て取れない(笑)、忘れずに1本目ジェル(Power Bar梅)を飲みたくないが飲んだ(笑)、京浜東北線の上を通り、駒場サッカー場、坂のアップダウン通過しながら思ったのは、みんなかなり早い、流れが速い、どんどん置いて行かれている。
 
 11~15キロ 26分50秒(予定より5分早く通過)、第二産業道路を山崎で折り返しここで最後尾が見えた。その後ろに観光バスが3台続いている。間もなく第2関門(13.9キロ)だからだけど、ここで落ちる人がいるのか?と思ったり、仕事柄、あのバスいくらでチャーターされているんだろうか?とか、あれ、何人乗りバスだ?とか考えながら走っていた。2本目のジェル(ショット)を飲んだ。脚も気力も問題なし。
 
 16~20キロ 26分16秒(予定より6分早く通過)、見沼大橋有料道路を通るがこの手前で女子のトップランナーの走りを初めて見た。「速い」「かっこいい」個人的には渋井選手がかっこよかった。有料道路を渡りきるところで路肩から「○○さん!」と声をかけられた。見るとサイパンにもよく来る私の知人の娘さんの旦那さん(長い)と息子さんだった。路肩を電話しながら「いまそっちへむかっているよ!」と走っていて、私もつい並走してしまった(ここだけキロ4:58になっている)。そして知人家族から応援をもらったらやはり気持ちが更に元気になった。この区間は下りと上りが交互にある埼玉スタジアムへ向かう区間。脚も気力も問題なし。ここでベスパHYPERを注入。

 21~25キロ 26分52秒(予定より5分早く通過)折り返し地点は、1時間56秒48秒(グロス参考記録)で私のペース表は1時間56分22秒でほぼその通りに走っている。まわりが私を抜いて行っても我慢、我慢でじっと走ってきた。しかし、この区間から5秒だけ上げて5分25秒(最低)で30キロまで走る。この区間は試走しているが、正直何もない国道だったが今回は他の所と同様に沿道には沢山の人が応援して下さっていた。22キロを超えたあたりから薄日が差してきた。私は個人的にうれしかった。寒くはないが寒くなるのは大敵なのでサイパンの日差しに比べれば大したこともない。第3関門(25.5キロ)が折り返し手前にある。11時57分48秒に通過(関門時間は12時10分)、折り返し付近で応援待機しているという越谷の友人は見つけられなかった。夏にあの猛暑の中にここら辺を試走したことが頭の中で思い出された。気力問題なし、脚は少し疲れてきたような気もしていた。が、問題なし。ジェル(さバスピットイン)をまた投入し、エイドでクエン酸のスティックを飲もうとするがうまく開かず少しだけ口に入れて諦めた。

 26~30キロ 26分46秒(予定より9分早く通過)やはりこのあたりになると少し気が緩むというか、気を抜くとすぐに5分20秒を割ってしまう。28キロあたり美園駅を超えるところで上り、東北道を渡るところで上り、30キロ手前(浦和大学)で上りと続くが、頭の中でネイビーヒル(サイパンの地名)の800メートル坂3~5本をよくやっていてそれを思い出して、タイムもさほど落ちずに通過した。第4関門(30キロ地点)12時35分を12時24分34秒で通過している。最後の坂手前でジェル(仁丹のやつ)を投入。気力問題なし、脚は動いているが、ここで右足の指に巻いていた(ソルボバン)がとれて靴下内を動いていて足裏が場所によって痛い。

 31~35キロ 26分25秒(予定より15分早く通過)有料道路を今度は復路として通過(今回は風が無かった。これでもし風があると大変だったはず)ずっと沿道を人が応援してくれる特にうちの子と同じくらいの歳の子にかけられるとうれしい。この区間は緩い上りと下りの繰り返しで知らないうちに脚にも少しづつ負担と、何よりも右足のソルボバンが動き回っていたくて仕方がない。
この区間からペースをさらに5分13秒で走るとしており痛みと戦いながら走りました。しかし、ラップが下がりませんが上がりもしません。第5関門(35.2キロ地点)を13時05分を12時50分で通過、ここでHYPERを注入。しかし、この関門を越えたあたりでいきなり左足の太もも付け根が攣りました。今までで初めての経験でした。右をかばい過ぎてバランスが悪くなり左に負担がかかっていたのではと今になると思います。

北浦和


 35~40キロ(26分53秒)予定より7分早く通過、私はこのレースのポイントとしてこの区間が一番心配でした。4.26キロを20分で走らなければならず疲れた足で果たしてキロ約4分半+で走らなければならないのはどこまでいけるか?過去の2回のマラソンでもこの区間に泣いてました。ただし今回は左足が攣って棒のようでした。そのうち右と左が交互に、両方がいっぺんにと繰り返しながら、気力は十分ですが脚がうまく回らない。本来ならこの区間はラスト12キロを4分35~45で行けると30キロあたりでは思っていました。
 足の裏は本当に痛いし、攣るし、思い通り動かなくて情けなくなりました。去年の2月に怪我をして、それから当分歩けなかった。次に走れるようになったらサブフォーをすると決めて。やっとの思いで走り出せて、こうやって我がままで日本に来て走り、家ではこもたちの学校の用意もある中で、早く戻らななきゃなんて考えながらほぼ毎朝走り、そんなことを考えながら道路脇で同じように攣ってダウンしている人たちを横目に走り、本当ならメインのラストスパートの道、駆け抜けているはずが・・・

 与野駅の手前あたりでいきなり「ごとうさん!」と見ず知らずの女性に声をかけられました。目が悪いので顔ははっきり見えませんでした。(のちに試走を一緒に、色々と分からない事を教えてくれたぽむんさんの奥様でした)声援とは、力になります。最後の関門まであと2キロくらい、痛くてつらいが止まったらお終いと決めてすっかり景色の変わった新都心あたりの中山道を通過、沿道の声も大きくなり、何とか、やっと最後の関門、第六関門13時25分のところを13時17分で通過出来た時は思わずガッツポーズをした。と言うか、出てしまった。あと2キロをがんばればなんとかなる、今までやったことが何とかなると。

吉敷町

40~42.195キロ(ゴール)
「気力」この2キロはこれだけ、脚は痛いけどそれについてきた。走っていて太ももがちぎれるかと思った。けど、前にいる人を抜こうとそれだけ考えた。吉敷町をくぐり、上落合の交差点を曲がり、八幡通りの信号を左折、どれも昔からなじみ深い地元与野で無様に落ちるのは嫌だった。地元を走れるからこのマラソン大会を選んだ。グロスとか、ネット記録とかそんなもの知らない、サブ4縛り、自分を追い詰めるにはいいと思った。しかし、この2.195キロは長かった。私的には追いつけない人もいたが抜かれた記憶はないんだけど(痛くて見えてないだけか)でも気が付いたら左折してゴールまで一直線の道に入っていた。

ゴール目の前

ゼッケンBとかCの人を、抜いて、抜いて、やっとゴールしました!
記録3時間49分25秒(グロス)/3時間45分26秒(ネット)、順位2429位(男性3279人)

順位

この大会で、自分でよかったところ、ペースをほぼ一定に保てた(調整でる余裕があった)ので後半に粘れた。攣ったけどそれを何とかカバーできた。逆に攣らなければ自分なりに目標としていた3時間40分に届いたであろうと思う。自分なりに計画を練り、練習も4月から月間で200キロまたは以上、10月は300キロしかし、ロングの回数が少ないのが心配でしたが腰も、脚も、腕も何とかついてきてくれました。小出さんの本の通り後半に力を蓄えられました。

 8月に大きな台風でサイパンは壊滅的なダメージを受けて走る事が出来ない期間もありました。そんな時も、会社内の駐車場を走ったり、ほぼ一人の練習が多かった(サイパンは4月しか大型マラソンが無くこの時期は暑くてオフです)しかし、9月くらいから友人達も一緒に走るようになり、自分なりに本を参考に練習方法やスケジュールを考えて整えました。好きなサッカーも怪我を心配して9月に1度やってそれから休みました。

ひたすらその間は街のファンランなどで力を確かめたり、11月29日の河口湖(富士山マラソン?)へ招待選手として参加するラン仲間に引っ張ってもらったり、同じこのさいたまマラソンにエリート枠で出るサイパンリピーターと知り合い、最後の追い込みや疑問質問で助けてもらったり、ジョグノートでの友人に初めて会って夏の試走を一緒にしたり(その後はやはり質問攻めで)当日も一緒のエリアで、終了後も一緒に1パイしたり)、このレースを通じて色々な知り合いも出来た。これも大きな収穫です。

 あとはまだ達成していない、地元サイパンマラソンでサブフォーをしたい。これが当面の目標です。今後もトレーニングは続けて月間200キロは継続したい。

この大会、一言で私にはいい意味でも悪い意味でも「我慢」の言葉が当てはまるレースでした。ペースを上げない周りに惑わされず自分のペースで30まで走る我慢と、最後の12キロを攣っても走れた我慢と、いやでも朝に起きて走り続けた我慢です。

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この後、中央分離帯まで足が棒のようでしたが歩き、何とか座り隣にいらした見知らぬ完走ランナーとスポーツドリンクで乾杯しました。

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休んで落ち着いたら、アリーナの待機場へ向かいました。ボランティアの高校生にメダルをかけてもらいました。そうしたら急に涙が出てきました。怪我した事、来ていたらもっとすごい力になったであろう家族の事、色々な事が蘇ってきて…約束は守れた。

そして、早くサイパンに帰りたいなって思いました。



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